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武蔵野稽古会について

 

武蔵野稽古会は古流居合 無直傳英信流二十一代 福井聖山宗家の業を継承した居合を稽古する

団体です。

福井聖山宗家 直門 十段位 清田泰山師に師事し、清田泰山師より流 全種目皆傳を允可された

八段 佐藤歩水、同允可 教士 伊藤拍が指導する道場です。

平成二十九年八月五日 武蔵野国鎮座 立川諏訪神社境内 練成館にて道場開き、清田泰山師創設の

居合道団体 神州居合道連盟 加盟道場として活動して参りましたが、

令和二年 清田泰山師の御隠退を以て神州居合道連盟が解散となり(※)、以降は独立不の道場として

活動、令和五年より段位認定組織 無雙直傳英信流 藏會(きすみかい)を設立。

同会所属の道場として活動しております。

 

居合は独りでも稽古出来る武術です。

居合の業は制敵の理合で成り立っており、その理合に己の実際を重ね、理に合わない無駄を

削ぎ落としてゆく事、「事理一致」を求めて稽古することが「居合道」としての稽古です。

 

   形により心に入り業に依りて心を養ふ

 

それぞれがご自身の目指す高みへ、それぞれの早さで稽古を継続されることこそが肝要です。

                        ※令和4年現在、同名で活動されている団体と当会は関係ありません。

 

 

 

 

武蔵野稽古会 会長より  はじめに

 

およそ人が成立してから、今日まで数多のことがおこなわれてきました。

ひとつは自他を養い平生の生活の向上を求めることであり、もうひとつは自他を守り後世へ存続

させることです。

時代が進むにつれてそれらは分化し専門化され探求の速度が加速してゆきました。

それら営みの数だけみちをひらいた先人がおり、それらを継承してきた先達がおります。

先人たちの歩んだみちは世の移りかわりのなかで途絶えたことも多くあります。今なお続いている

こともあります。

世に数多のことがあるうち、武蔵野稽古会が伝える無直傳英信流居合道は今なお続いていることの一つです。

ながい営みのなかで先人先達により求め得られたこと、または求め得られなかったことを後世に託すことが繰り返されました。その歩むみちに先人先達は時々の智慧を含ませ、道となし、やがてその

伝承は「わざ」と呼べる域にまで昇華されました。

その先人先達の行為が世々の数多の人々に支えられてきたことによりわれわれは今日「古を稽える」標として居合道を追いまなぶことができます。

さまざまな分野での先人先達の成してきた事柄やつくりだすものをみると全く異なる理から成って

いるように感じるかもしれませんが、それぞれを辿れば共通した思想や手法が多く見つかります。

それは現代においても変わらぬことと思われます。

失われたものも含めて、それぞれに結晶というべき内容があります。

当流、無直傳英信流居合道の伝える居合道は刀を媒体として身体を磨くことが道の入り口です。

しかし居合道は身体の操作の習得のみではなく、平生の心の在り方も求められ、その行程は他の道と同じくみちの奥は深く長く先へ歩むほど細く険しくなります。刀および身体の操法の習得のみに

止まるものではありません。心身神の在り方に影響をもたらすものです。

当会では刀を媒体として蓄えられてきた智慧を現代に供しようとするものです。

むやみに争いをつくらず自然体であることを常とし、己と向き合う姿勢を基本とします。

皆様の平生の幾許かの時間を古を稽え修得するために費やしてみては如何でしょうか。

 

 

直傳英信流居合道 武蔵野稽古会 会長 佐藤歩水

会長師範
佐藤 歩水

 

平成十三年 無直傳英信流二十一代宗家 福井聖山 直門 清田泰山十段範士の門に入る

全日本居合道連盟 錬士允可

平成二十三年 清田泰山師の神州居合道連盟 発足に従い移籍

神州居合道連盟  八段允可

令和二年 清田泰山師 引退により神州居合道連盟 解散

​令和五年 段位認定団体 無雙直傳英信流 藏 発足 初代

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指導者紹介

術儀師範

伊藤

平成十六年 清田泰山師へ入門

全日本居合道連盟 六段允可

平成二十三年 清田泰山師の神州居合道連盟 発足に従い移籍

神州居合道連盟  教士允可

令和二年 清田泰山師 引退により神州居合道連盟 解散

​令和五年 段位認定団体 無直傳英信流 藏 発足

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