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武蔵野稽古会はどんな考えで居合道を伝えるの?




当会は無双直伝英信流居合道という流派を継承し伝えております。

当流は居合道の最古流または源流と位置づけられることが多い流派ですが、世に数ある居合道の一流派にすぎません。


それぞれの流派には各々の理合から成立した業があります。

当流がそうであるように、各流派はそれぞれが継承する業やおしえに誇りをもっています。

業の習得に打ち込む心には流派の起こりが古いとか新しいかなどの区別はないでしょう。

当会は、他の会がそうであるように自流に伝承されてきたことを後世へ伝えようとするものです。その伝承のために必要なことを取り入れるに時代の別は問いません。一例を示します。当会会則に取り入れた例です。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ…」

この言葉は昭和期にある古人の残した和語の箴言です。これには後段がありますがそれはまた別の機会に触れたいと思います。


これは当会の肝要に適うものとして取り入れました。

当流は永禄年間より起こり、いくつもの時代を経て、時々の時事を踏まえた居合道の伝者により今日まで継承されてきたものです。

己の根本を曲げずに置かれた状況の中で目的を果たしてゆくこと、己を貫き且つ相反することを平かの道の内におさめるということが居合道の妙味であり、根本の考えのひとつです。これは、つまり「むり」なことを「平らかに」収めることとなるわけです。言葉であらわすほど簡単ではありません。


我が流派ではこの考え方が「業」としてかたちを成し「口伝」を添えられて今日まで伝えられております。

「口伝」とは誤解されやすい語かもしれません。私の解釈では「口伝」とは、単に口頭で業を伝えることではなく伝者が被伝者へ体現して見せるという前提があり、口頭により不足を添え補完することです。そして、伝承とは、伝えた者がつぎの世に伝えてゆこうとする者または業をまなび己を高めようとする者の姿を見守り支えてゆくことまでと考えております。

当会は当流の伝承内容を基軸にして当流の背景まで含むボリュームを後世へ伝えることを目的にしております。


はなしが「口伝」のことにもどります。当会の考える「口伝」とは、かたりべのように「話し伝え物語る」ことではありません。当会の考える「口伝」において伝者がおこなうべきは、伝えようとする業を被伝者へ向けて身体と口頭であらわすことです。被伝者が体得した業を後世へ体現し伝えてゆく力を身につけていることを確かめるまでが伝者の役目です。

その先、被伝者が何を後世へ伝えるかは被伝者個々に委ねることとなります。


歩水


2018年7月23日 初出


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