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寓話に照らす 行者ナーガセーナとメナンド

 私は学校を卒業してから約10年間は江戸期から昭和期まで生きた人々が生活に使っていた生活の道具を収集・保存・公開することに従事しておりました。
 そのような中、ある日教授から唐突に「お前はどうしてお前なんだ?」と尋ねられたことがあります。「わたしはあなた(教授)でもないし、ほかの誰でもないから私なのです。」と返答しました。「ではどうしたらお前のいう“わたし”とやらの存在を証明できるのか。」とその教授が問いを継いできました。咄嗟に「私は他の誰でもないからわたしなのです。わたしは他人とのつながりや比較でしかわたし自身を証明することはできません。」と正直に回答しました。その教授はしばらく頷いたり、ややニコッとしたり…何か納得したような表情でそのあとに言葉は頂きませんでした。

 十代前半のある日、父の本棚より得たメナンドロス王(ミリンダ王 弥蘭陀王)とナーガセーナの問答を挙げます。諸説あるようですがこの問答は紀元前一世紀のころにおこなわれたとされ、その後、寓話として調えられたといわれております。
 仏教の経典におさめられたこの二者の問答はまずメナンドロス王からナーガセーナへ自己の存在の説明を求めることから始まりますがここではナーガセーナのターンを抜粋して題材とします。

 「ところで王はここまでなにで来られましたか?」とナーガセーナがメナンドロス王に問います。
 メナンドロス王はナーガセーナに「ギリシアからインドまでは車に乗ってきた」と返答します。
 ナーガセーナは「車」についての問いをメナンドロス王へ向けます。
 「王の言う“車”とは、何なのか。車輪のことなのか轅のことなのか…一体 ” 車” とは何であるのか。それら(車輪、轅…などの部品)が一体となってつくる現象を車とよぶのか…」と続きます。
 この数年後メナンドロス王は王位を捨てナーガセーナに師事します。  

さて、わたしたちが「居合道とはなにか」「居合をする自分とは何か」と自己に問うときにどう自分を納得させるでしょう。教わった業の手順を卒なく演武することが居合なのでしょうか。どこか団体へ所属することが居合を学んでいることになりますか。刀をつかう稽古をしていればいずれ居合を習得できるのでしょうか。

 私は居合とは、先人先達の残した智慧を先に挙げた二者の問答中の“車”とみなし、そこに主体である載り手(稽古者)が加わって成立するものと考えます。
 当流において先人先達の智慧は当流のアイデンティティでありレゾンデートルであり人を育てる財産です。毫末も変えることは許されません。変化、成長は業へ求められるべきものではなくその載り手(稽古者)に求められます。

 業はいつも中性です。これは前掲「居合と個性」を深めた話になりますが、業に主体が載ることで居合となります。故に高段の者には一層の心身の成熟が求められてくるものと私は解釈しております。


 音楽家は音を媒体として自己を表現し画家は絵具とキャンバス等の支持体で表現します。音も絵具も中性です。

 ある日、わが師から門下に向けて下問がありました。
 「明治以降は帯刀することを禁ぜられている。あなた方がなぜいまの世に居合を学ぼうとするのか。各々今一度考えてみなさい。」


 歩水 
2019年5月28日 初出
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