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武蔵野稽古会傳 作法 細論 其之四


着装 四

下緒

着装の最後に、刀の下緒について記しておきます。

本来打刀の下緒は、戦場に於いて腰帯に絡めたり、左右から胴に回し右腰で結ぶなど、鞘ごと抜け落ちないように付けられたのが始まりと云われています。

戦の無くなった江戸中期頃より、襷に使う、塀や崖を越える時に刀を足掛かりにして乗り越え、下緒で刀を引き揚げる、等の現代でもよく聞く用法が流布されましたが、当時の識者によればこれらは取るに足らない後付けであって、「疲れたから刀を杖に突いて歩くと便利だなどと云っているようなものだ」と書き残しています。

江戸時代では各藩に下緒や羽織紐の色、長さの規定があり、身分によって制約がありましたが、現代においては特に決まりはありません。
但し正絹金地の下緒は江戸時代に於いては高身分の人、現代の斯界では高段位者のみ着装可とされている場合が多く、自身の技量、品位を留意すべきと考えます。

また下緒の色は、柄糸に合わせるのが基本のコーディネイトです。
長さについては、現在刀用として販売されている下緒はほぼ全て八尺(約240㎝)で、この長さで問題はありません。
不肖は刀も下げ緒も短めが好みで、拵も肥後拵なので五尺前後の下緒を常用しています。
因みに江戸時代、幕府公用の決まりでは五尺前後と規定された時期もあり、後述の袴紐に下げ緒の端を差し込む始末をする、現代の着装には少々短めです。

当時の下緒始末は、鞘に巻き付けておく、または腰後の鞘に掛け垂らしが一般的でした。
当流の系譜である土佐においては掛け垂らし、また職位が上がるにつれ長くなったと聞いたことがあります。

現在当会に伝わる二十一代の着装は、腰後の鞘に掛け垂らし、垂れた先を左腰前の袴紐に挟み、腰に差した刀の栗形寄りへ寄せ、左腰で下緒が輪となるように始末します。
現代のように下緒が長い場合は先二、三寸を折り、下の袴紐に上から挟みますが、五尺など短い場合は折らずに上から挟みます。
不肖が全日本居合道連盟所属当時、大会運営役だった同門他道場の先生より、着こなしとして挟んだ下緒の先が輪の内側になるよう指導されたことがあり、確かにそのほうが収まりが良いため、当会でもこの形としています。
五尺前後の短い下緒の場合、袴紐に挟みこんでいると颪、行違など柄打ち業の時に突っ張って阻害となるため、当該業の時のみ掛け垂らしにすることもあります。

袴紐に絡める作法はおそらく戦後のものであり、江戸時代からの伝承ではないと推測しますが、現代の英信流各派は、凡そ左腰の袴紐に絡める方法が大勢です。
また同根異流の神伝流では右腰の袴紐に結着し、下げ緒が下腹の前を渡る形です。
左腰で始末する英信流でも、挟み込みでは無く袴紐に結着する方法や、掛け垂らしとする処もあり、どれが正しいというものではありません。

但し、立ち居振る舞いの所作も含め、無駄を削ぎ事理一致を追求するのが居合「道」としての修行であるならば、下げ緒捌きにおいても所作を以て稽古と為すという意味で、どのようなかたちであれ、各道場での基準を持つことは必要と考えます。


无拍
2022年9月17日 初出
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