幕末当時、土佐の伝承は大きく分けて谷村派と下村派の二つが主流でした。
大江正路師は若年期に下村派を学び、戊辰戦争へも出征、明治に入り谷村派十六代後藤正亮師に師事し谷村派を修業、谷村派十七代相傳者、宗家となりました。
一方下村派においても十四代下村茂市師、十五代行宗貞義師、同十五代細川義昌師、古傳探究の依代となっている曽田文献を遺された十六代曽田虎彦師などに受け継がれています。
谷村派は大江正路師以降、宗家制を確立し現在に至っていますが、大江師の門下で、土佐の山内容堂公の孫である山内豊健師を中興とする山内派、また行宗貞義師、細川義昌師などに相傳された下村派などは唯一人の宗家制とせず、相傳者は第何代相傳者、或いは第何世となります。
昭和になり戦後の混乱期、谷村派では高知に宗家承継が可能なかたが居らず、大阪の河野百錬師が第二十代宗家を継ぎましたが、高知県外へ宗家を出す事を良しとしない師も多く、一代限りで高知へ戻す事を条件に承諾されたとの逸話があります。
河野百錬師は剣道家でもあり、戦後GHQへの働きかけにより剣道の復旧が認められ、全日本剣道連盟(以下「全剣連」)が発足した際、居合道も包括した組織を要望しましたが受け入れられなかった為、居合の各流派宗家と連盟して全日本居合道連盟(以下「全日居」)を発足されました。
その後、全日居の隆盛と居合人口の増加につれ全剣連も居合道部を創設し、一度は全日居との合流も試みられましたが双方の条件が折り合わず物別れとなり、今日に至ります。
続きます。
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