二十一代宗家は先述の条件により、河野百錬師の次は高知人へ承継されるはずでしたが、河野百錬師が次代継承者を指名せず急逝されたことにより、全国へその門下を拡げた一門の内部では承継者問題が起こりました。
結果として、全日居の中核である無雙直傳英信流(正統会)は岐阜の福井聖山師が二十一代を承継、これを是としない高知の英信流居合人の方々は元々次代継承者が内定していたとされる高知の師を谷村派、下村派両派統一の宗家として袂を分かちました。
河野百錬師の高弟であった別の師も別団体を発足し別れ、こちらも継承宗家として活動され、現在はこの師を初代に数え新派として継承されています。
当会直系の宗家である第二十一代福井聖山師は無形文化財を認定されるなど、居合の文化的価値を確立し全日居をさらに躍進させました。
当会傳承の系譜で佐藤歩水会長と不肖の師である清田泰山師は、大正10年肥後熊本上士の家系に生まれ、陸軍士官に進みました。
昭和16年、昭和の剣聖 中山博道師の高弟である額田長師に師事し、大森流(現在の正坐之部に相当)を学びます。
戦後、同門末次留蔵師に学び、昭和46年、東京都小平市で山内派二十一代相傳者 川久保瀧次師に師事、無雙直傳英信流山内派を学びます。
川久保瀧次師は戦後復員後、仙台で山内派止水会を作られ、小平市へ転居後に小平市居合道愛好会を立ちあげ、盟友であった土佐英信流 大田次吉師と共に第二十代河野百錬師の全日居に加盟、全日居関東地区連盟を立ち上げました。
その後、清田泰山師は第二十一代宗家 福井聖山師に師事、宗家直門として第二十一代の居合を修めました。
清田泰山師は昭和50年に小平市居合道連盟を設立、全日居の関東地区連盟副会長を務められ、平成12年に最高段位である十段範士を允可され、また福井聖山師より直門之証を授与されています。
清田泰山師は刀剣への造詣も深く、日本美術刀剣保存協会(日刀保)の刀剣鑑定で奥伝位を認定されており、また自身で刀装具、拵の製作などされておりました。
佐藤会長と不肖も小平市居合道連盟から清田泰山師に師事、今日に至ります。
続きます。
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