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武蔵野稽古会傳 作法 細論 序文


序文

現在、諸事情により新規入門の受入れを中止しており、門下生にも稽古に通い難い条件となっております。
このような状況ですが、稽古は刀を振るだけではなく今一度、道としての意義を考えることも稽古であることを認識して貰いたく、本稿を連載します。
古(いにしえ)を稽(かんがえる)と書いて稽古と云います。

当会 無雙直傳英信流 武蔵野稽古会では、江戸期から繋がる居合独演形42本、明治以降制定の番外4本(十七代大江蘆洲師考案3本、二十一代福井聖山師考案1本)、昭和期に制定の抜刀法11本(二十代河野百錬師考案)、組太刀の英信流居合道形(太刀打之位と呼称している道場も多い)7本、計64本(他に教外稽古法:早抜)を福井聖山師道統の正流として稽古しています。

当会では道統の正流業以外にも、当流の理解を深める稽古として、英信流古傳の仕組「太刀打之事」「詰合」「小太刀之位」「大剣取」、和(やわら)の「大小詰」「大小立詰」、棒術の「棒合」「立合之棒」(坂橋流)、江戸時代に併傳武術として残された柔術の「夏原流」なども研究稽古していますが、心身の修養である居合「道」としての稽古は、あくまでも師傳の正流業になります。

道としての師傳は業のほか、立ち居振る舞いの作法、礼法などが二十一代 福井師直門である十段範士 清田泰山師より当会に伝えられております。
立ち居振る舞いの所作も含め、無駄を削ぎ事理一致を追求するのが道としての修行であり、作法に於いてもその所作を以て稽古と為すという心持が肝要と考えます。
これらは古流の時代から引き継がれているものもあれば、近代の師により規定されたものもあると考えられ、おそらく道場ごと、師傳ごとに細かい違いがあると思われます。

本稿では当会 無雙直傳英信流 武蔵野稽古会に伝わる礼法、作法について、当会門下の修行の一助とする為に細論を試みます。
元より同じ師下の兄弟弟子であっても、その師事した時期により教授された致し様には若干の相違があるものです。
不肖が知る限りで兄弟子に伝授されたものも含め論じてゆきますが、同じ師傳の兄弟弟子の道場に於いて、当会とは異なる礼法、技法を執られていたとしても、これを否定するものではありません。
況してや全国に亘る違師傳の英信流、元々は同流違派である神伝流の各位を否定するものではなく、あくまで当会門下の稽古に資する為、当会の伝承を細かく分解してみる趣旨であることを最初に断っておきます。

また、当会の伝承をより深く理解する為に、不肖の武術を通した交流の中で様々な先生方よりご教示頂いた違師傳や他武術の視点、それを不肖なりの解釈や疑問も織り込んで論じられればと考えております。

当会道統の宗家である二十一代福井聖山師の宗家訓には
「当流の居合を学ばんとする者は、古来より伝承せられ以って今日に及ぶ当流の形に聊かも私見を加うることなく、先師の遺された形を毫末も改変することなく、正しく後人に伝うるの強き信念を以って錬磨せられん事を切望する。(後略)」とあります。

宗家でも無い者が、己の浅識で勝手に形、想定、理合を変えることは当然の論外です。
別稿「雑考 道としての居合」にて不肖の見解は述べており本稿では割愛しますが、伝承する形、言葉を改変するのではなく、伝承する形、言葉を理解するために色々な視点、別角度の言葉を以て「自ら稽える」ことは、居合を刀踊りなからしめる為には必要であると信じるものです。

しばらく続きます。

无拍
2022年8月20日 初出
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