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無雙直傳英信流視点における刀についての私見 其之七


これまでの考察から、江戸中期の土佐から現代に伝わる無雙直傳英信流では源流のように長い刀を使う稽古上の効能はあまり重要では無いと思われ、個人的にはむしろ短い刀に稽古の滋味があるのではないかと考えます。

因みに当流の伝承された土佐では幕末、志士の間では「土佐のながかたな」と言われた程に長寸が流行ったようです。
しかし幕末の土佐人ではあっても藩士として戊辰役にも出征した当流十七代 大江正路師は、写真で拝見する限り当時としては体格がよいかたですが、あくまで常寸である二尺三寸の刀を差したとのことで、写真でも常寸で稽古をされていた様子が窺えます。
余談ですが大江正路師のお孫さんの著書によれば、よく云われる「まさみち」ではなく「まさじ」とお読みするとの事です。

また、大柄な大江師に対し二十代 大阪出身の河野百錬師はこれも残された動画を拝見する限り小柄なかたでしたが、愛刀肥前國陸奥守忠吉は二尺四寸八分、三百五匁(1,143g)と長め重めでした。

居合の初心者は二尺足らずの刀を抜くのも難しいものです。
しかし昔から云われる刀の長さの目安、身長より三尺引いた程度の長さ、江戸期の平均身長が五尺三寸(約160cm)程度として二尺三寸の刀ですから、現代人で身長170cmくらいの人なら二尺六寸程度は常寸の範疇で、稽古すれば楽々抜き付けることができます。
流石に源流のような三尺三寸刀となると、抜き差しは出来ても現代の英信流業を楷書で抜き付けるのは難しいと思われますが、先述の身長引く三尺程度までであれば、長短は稽古次第で問題の無い範疇かと思います。

また重さ、反り、重ね、身幅に関しても、現代の抜刀などで使われる試斬専用の現代刀にあるような尋常でない豪刀はともかく、古刀から新々刀における尋常の範疇であれば自身の体格に合わせ無理がなければ問題ないと考えます。

ただし重心に関しては長さ重さに関わらず、操作性に大きく影響する要素であり、居合刀としては留意すべきです。
手元重心は刀が軽く取り回せる反面、刀の理が感じ難く、刃筋を通して物打に重心を乗せるという理合から離れがちです。
逆に先重心は、刀の通りたい刃筋を刀に任せて切る理合が体感しやすい反面、取り回しが難しく、関節や筋肉に無理が来ることも多くなります。
どちらにしても、その刀が最大限能力を発揮できる理合で稽古すればよい話ですが、個人的な所見として初心は偏った癖がつかないよう、あくまで正速強威を弁えた稽古を前提として、手元重心よりは多少先重心気味の刀を使う事に利有と考えています。

さらに茎(なかご)と刀身の支点位置、共振点と柄形のバランスも関わってきますが、不肖の知識では語れる範疇を越えてしまいます。
また結局の処、総合的には実際に持ってみなければ判りません。
居合に使う刀を初めて購うときは、可能であれば道場の先達に色々振らせてもらい様々なバランスを体感しておき、寸法や重量だけではなく実際に持って構えてみることです。


无拍 
2020年1月20日 初出
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