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無雙直傳英信流視点における刀についての私見 其之五


無雙直傳英信流の古傳には、神夢想林崎流のように打太刀をたて実際に対手を制する稽古業として「太刀打之事」「詰合」「大小詰」「大小立詰」「小太刀之位」「大剣取」といった仕組(組太刀)がありました。

しかしこれらは神夢想林崎流に残るような林崎源流のものとは大分様変わりをしていて、後述しますが土佐から現代に伝承される無雙直傳英信流には長刀で稽古する意義があまり感じられません。
個人的には、これら古傳の組太刀は後述する無雙直傳流和(やわら、柔術)の影響が濃いと感じています。

まず「太刀打之事」、古傳に云う「大森流居合之事」つまり現代に伝承される「正坐之部」と、現代の「立膝之部」に相当する「英信流居合之事」の次に稽古された「太刀打之事」は、幕末から明治にかけて変化しながらも「太刀打之位」として伝承され、そこから更に現在行なわれている七本の組太刀「無雙直傳英信流居合道形」の元になったと考えられる、十本の仕組です。

因みに土佐の傳書では「事」という字を「業(わざ)」の意で用いているようです。

古傳「太刀打之事」では、ある程度間合が離れた処から歩み寄り、打太刀が仕太刀の膝に抜き付け、仕太刀が虎一足の如く抜き合わせ「留める」処から始まる業が二本、仕太刀が納刀のまま、抜刀した打太刀に歩み寄る業が一本、その他は互いに抜刀した状態で歩み寄り切り合う業です。
仕太刀が納刀で始まる三本の業は、初太刀に関しては長刀のほうが不利な稽古といえますが、仕太刀は後の先で「切る」わけではなく、抜き合わせて「留める」のであって、「後の先」で抜いて切り勝つ抜付けの速さを重視したものではないようです。
業の本体は合刀した状況から変化して対手を制するもので、長い刀が不利なのは初太刀の抜刀のみです。
抜刀後、または抜刀して歩み寄る業においては、仕太刀が打太刀より短い刀の場合、打太刀を制するにはより深く間合に踏み込まねばならない為、仕太刀は短い刀を遣うことで、より不利な状況で稽古ができると考えます。

次に、「極意たるに依而格日に稽古する也」とされる「詰合」です。
こちらも幕末から明治にかけ多少変化しながらも伝承され、二十一代宗家 福井聖山師が映像に残している「詰合之位」十一本の元となった仕組で、古傳「詰合」では十本になります。
(「詰合之位」十一本目は、「太刀打之事」十本目「打込」が付加えられています。)
十本中、最初の五本は互いに居合膝に座して向かい合った状態から業を仕掛けます。
この五本も太刀打之事と同様に打太刀が仕太刀の膝に抜き付ける処、仕太刀は抜き合わせて留め、その後の変化が業の本体になります。
やはり抜付けの技術を重視した稽古業とは思えず、あまつさえ合刀ののち仕太刀が刀を手放してしまう業まであります。
六本目は仕太刀のみ納刀して座している処へ、抜刀した打太刀が遠間から歩み寄り切り掛かる想定、七本目は仕太刀が納刀、打太刀は高山(上段)に構えていますが双方歩み寄らないと届かない間合を取って立っており、八本目以降は互いに抜刀し遠間から歩み寄るものです。
いずれも長刀のほうが有利とも云える状況で、稽古としてはやはり短い刀のほうに意義がありそうです。

今回は長くなりましたが、もう少し古傳の検証を続けます。


无拍 
2019年11月1日 初出
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