武蔵野稽古会 無雙直傳英信流6月14日読了時間: 4分無雙直傳英信流視点における刀についての私見 其之八今回は刀と我を繋ぐ唯一の(颪など直接刀身に触れる業もありますが)接点である、拵について考えます。拵は藩や国、流派により特色のあるもので刀剣の見所の一つですが、居合においてはやはり使い勝手に関わる重要な要素となっています。特に刀の操作に大きく関わるのが柄です。柄の拵としては太さ、立鼓の取り方、柄巻、縁頭金具、目貫の位置など、様式によって色々な特色や掟がありますが、好みのもので良いと考えます。但し、当たり前ですが休め鞘(所謂白鞘)は使えません。漫画やアニメでは白鞘のまま抜き差し振り回している事がありますが、休め鞘は柄も鞘も必要に応じ左右に割って中の錆を掃除する為、ソクイ(飯を練った糊)で張り合わせただけです。強度的に問題外で危険であり、また鞘側にも栗形が無い為、帯から抜けて落としてしまいます。柄の拵には新陰流の柳生拵の様に手溜りを考慮して目貫の位置が独特なもの、示現流の薩摩拵の様に自流の斬撃を強からしめる為の柄形、伯耆流居合を嗜んだ細川忠興の意匠である肥後拵など、それぞれ今で云う用の美が感じられ面白いものです。ある文献に拠ると、江戸時代には一般的な拵で八寸五分前後だったようです。古田宮流などでは長柄の得と云われ長刀に見合う長い柄を用いたようですが、当流のような常寸を使う流派ではあまり長い柄は使われていません。無雙直傳英信流において、当流の手之裡としてよく云われる「拳の間が指二本」は、当流二十代河野百錬師の著「無雙直傳英信流居合道」にある「食指中指の基部の入りえる程」に基づくものと思われます。参考に同じく二十代河野百錬著「居合道真締」の一部を抜粋します。「(前略)柄は八寸を度とする。縁金と頭金具を避けて諸手をかける(中略)私は多年来肥後拵への渋みを好み、柄は皮柄中くぼみ巻七寸と七寸五分のものを愛用しているが、縁頭が五分で握った両拳の間隔は下部で一寸から一寸五分程あいておる」これに基づくと当流の手之裡でよく云われる「拳の間は指二本」になると思われます。さらに、二十一代福井宗家直門の先生から、福井宗家の手之裡は指一本半とのお話を伺ったことがあります。小柄な河野宗家に比べ体格の良い福井宗家であれば、やはり柄七寸から七寸五分といったところになるかと思います。蛇足ですが不肖の手之裡は七寸五分の柄で丁度指二本の間隔、不肖の指二本基部の幅は凡そ一寸五分でした。実際は個人の掌の大きさや指の長さ、柄形や柄巻にも因るとおもいますが、当流の現代業を行なうには長柄は特に必要ではなさそうです。また、鍔には前回の稿で触れた刀身の重心を調整する役割もあり、先重心の強い刀身には釣合いを取る為、重めの鍔を装着したりします。観賞用としては好みのもので構いませんが、居合の使い勝手の面では気にしたい処です。 鞘は刀身の長さに加え、油落しと云われる延長部があり、刀身より長くなります。江戸期においては、一般的に柄と鞘の長さが一対三の比が多く用いられたようです。常寸の鞘が大体二尺六寸として、三分の一は八寸六分強、ほぼ定説通りです。現代の模擬刀でも、御土産用の時代劇に出てくるような拵ではやはり八寸五分強くらいですが、居合練習刀として売られているものは少し短く八寸くらいのようです。余談ですが、美術刀剣の造詣が深い兄弟子によれば、後述の肥後拵などで美しいとされる対比は一対二と半、だそうです。閑話休題。鞘も基本的には好みのもので良いと思いますが、太刀拵は腰に佩く帯刀なので、刃が下になり当流には不向きです。柳生拵や肥後拵の中には鞘の厚みや栗形の位置を工夫したものもありますが、絶対的に必要な条件ではありません。唯一、颪や行違などの柄打業の邪魔になる為、当流においては居合刀には返り角が付かないものが使い良いと考えます。无拍 2020年3月28日 初出
今回は刀と我を繋ぐ唯一の(颪など直接刀身に触れる業もありますが)接点である、拵について考えます。拵は藩や国、流派により特色のあるもので刀剣の見所の一つですが、居合においてはやはり使い勝手に関わる重要な要素となっています。特に刀の操作に大きく関わるのが柄です。柄の拵としては太さ、立鼓の取り方、柄巻、縁頭金具、目貫の位置など、様式によって色々な特色や掟がありますが、好みのもので良いと考えます。但し、当たり前ですが休め鞘(所謂白鞘)は使えません。漫画やアニメでは白鞘のまま抜き差し振り回している事がありますが、休め鞘は柄も鞘も必要に応じ左右に割って中の錆を掃除する為、ソクイ(飯を練った糊)で張り合わせただけです。強度的に問題外で危険であり、また鞘側にも栗形が無い為、帯から抜けて落としてしまいます。柄の拵には新陰流の柳生拵の様に手溜りを考慮して目貫の位置が独特なもの、示現流の薩摩拵の様に自流の斬撃を強からしめる為の柄形、伯耆流居合を嗜んだ細川忠興の意匠である肥後拵など、それぞれ今で云う用の美が感じられ面白いものです。ある文献に拠ると、江戸時代には一般的な拵で八寸五分前後だったようです。古田宮流などでは長柄の得と云われ長刀に見合う長い柄を用いたようですが、当流のような常寸を使う流派ではあまり長い柄は使われていません。無雙直傳英信流において、当流の手之裡としてよく云われる「拳の間が指二本」は、当流二十代河野百錬師の著「無雙直傳英信流居合道」にある「食指中指の基部の入りえる程」に基づくものと思われます。参考に同じく二十代河野百錬著「居合道真締」の一部を抜粋します。「(前略)柄は八寸を度とする。縁金と頭金具を避けて諸手をかける(中略)私は多年来肥後拵への渋みを好み、柄は皮柄中くぼみ巻七寸と七寸五分のものを愛用しているが、縁頭が五分で握った両拳の間隔は下部で一寸から一寸五分程あいておる」これに基づくと当流の手之裡でよく云われる「拳の間は指二本」になると思われます。さらに、二十一代福井宗家直門の先生から、福井宗家の手之裡は指一本半とのお話を伺ったことがあります。小柄な河野宗家に比べ体格の良い福井宗家であれば、やはり柄七寸から七寸五分といったところになるかと思います。蛇足ですが不肖の手之裡は七寸五分の柄で丁度指二本の間隔、不肖の指二本基部の幅は凡そ一寸五分でした。実際は個人の掌の大きさや指の長さ、柄形や柄巻にも因るとおもいますが、当流の現代業を行なうには長柄は特に必要ではなさそうです。また、鍔には前回の稿で触れた刀身の重心を調整する役割もあり、先重心の強い刀身には釣合いを取る為、重めの鍔を装着したりします。観賞用としては好みのもので構いませんが、居合の使い勝手の面では気にしたい処です。 鞘は刀身の長さに加え、油落しと云われる延長部があり、刀身より長くなります。江戸期においては、一般的に柄と鞘の長さが一対三の比が多く用いられたようです。常寸の鞘が大体二尺六寸として、三分の一は八寸六分強、ほぼ定説通りです。現代の模擬刀でも、御土産用の時代劇に出てくるような拵ではやはり八寸五分強くらいですが、居合練習刀として売られているものは少し短く八寸くらいのようです。余談ですが、美術刀剣の造詣が深い兄弟子によれば、後述の肥後拵などで美しいとされる対比は一対二と半、だそうです。閑話休題。鞘も基本的には好みのもので良いと思いますが、太刀拵は腰に佩く帯刀なので、刃が下になり当流には不向きです。柳生拵や肥後拵の中には鞘の厚みや栗形の位置を工夫したものもありますが、絶対的に必要な条件ではありません。唯一、颪や行違などの柄打業の邪魔になる為、当流においては居合刀には返り角が付かないものが使い良いと考えます。无拍 2020年3月28日 初出
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