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無雙直傳英信流視点における刀についての私見 其之六


詰合の次に稽古され、「是は業にあらざる故に前後もなく変化極まりなし」「気のり如何様ともすべし」とされる「大小詰」「大小立詰」では仕太刀が太刀を差し、打太刀は小太刀(脇差)を差して稽古します。
そして打太刀が仕太刀の柄を押さえたり、手を掴んだり、後ろから鞘の鐺を取ったり組み付いたりと、英信流居合之事(現代居合の立膝之部に相当)と同様、打太刀から仕掛け接触する処から始めます。

一見、長い刀が不利なように見えますが、実はこの業系では一部の応用変化を除き、仕太刀、打太刀とも刀を抜きません。刀を抜かずに相手を制する和(やわら、柔術)の技術系統であり、刀身の長さは最早関係のない要素です。
打太刀が小太刀を差しているのは、近接戦闘で有利な小太刀を差した打太刀を、抜く間も与えず仕太刀が制する、という意気の表示かもしれませんが、この稽古業では全ての先手を取る打太刀はそもそも抜こうとせず、組み付いてくる処から始まる手附です。
これは単に打太刀が投げられたり極められたりした際、受身の邪魔にならない為もあるかもしれません。

そして「大剣取」、これは和之位にありと伝わる秘中の秘で、最初の四本は仕太刀が小太刀、打太刀が太刀を用い、長短の利は完全に逆転しています。
そして太刀を差した打太刀の間合に仕太刀は不利な小太刀を引っさげて踏み込み、小太刀をもって太刀を制する業を稽古します。五本目からは相寸ということで双方太刀を使いますが、この「大剣取」は入身と体裁きで対手の柄口六寸を制する英信流武術のいわば根元であり、無刀に通じる部分をも多分に含んでいます。

「大剣取」のあと、居合業としては最後に記されているのが「抜刀心持之事」、これは現代の伝承では「奥居合」となった業系です。
その冒頭には「格を放れて早く抜く也 重信流」と銘じられており、形稽古の理合を得たのちは格(形、居合の型)を離れ、居合わせ如何様にも変化する心持を傳えています。

「大小詰」「大小立詰」「大剣取」は和術を根幹としており、当流七代長谷川英信師、八代荒井勢哲師が師家として教授した、無雙直傳流和という柔術を表芸とした流派の傳書目録に、これと相当すると思われる名称や手附が残っております。
これらの業は林崎源流の流れではなく、長谷川英信師の無雙直傳流和からの伝承と不肖乍ら推測しています。

さらに江戸後期までは併傳武術として「坂橋流之棒」「夏原流和之事」も教授されていたようで、これらも無雙直傳流の「和棒縄居合目録」の和目録などに同名の業が多数有り、長谷川英信師の教傳と考えられます。

上記の土佐に伝わる英信流古傳は全て、七代 長谷川英信師に師事した八代 荒井勢哲師が九代 林守政師へ伝えた内容を、十代 林政詡師が書き記したとされる文政二年に記された傳書の寫本文献に残っています。
他に幕末、土佐藩主山内容堂公へ英信流を指南した十五代 谷村自雄師の書に「小太刀之位」という、小太刀を以って太刀を制する入身を重視した他の傳書では見られない手附もあり、無雙直傳英信流とは抜刀術専門の流儀ではなく、元々は総合武術流派であったと認識しております。

今回も余談が長くなりました。もう少し続けます。


无拍 
2019年12月1日 初出
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