武蔵野稽古会 無雙直傳英信流6月14日読了時間: 3分無雙直傳英信流視点における刀についての私見 蛇足肥後拵について居合拵といえば不肖には肥後拵がまず浮かびます。肥後拵の本歌は、利休七哲に数えられる茶人であり伯耆流居合の達者であった戦国武将、細川三斎忠興が創作した様式で、侘びの心を取り入れた拵です。細川三斎自ら意匠したとされる歌仙拵、信長拵、希首座拵などの本歌の他、本歌の特徴を踏襲し、縁金具や鍔の名工を熊本へ招致して製作させた肥後金具を用いた拵を肥後拵として、肥後金工の手ではない金具で本歌に似せた様式の拵を肥後風、もしくは肥後拵写しと区別する事もあるようです。現代の居合道界においては、本歌の特徴に準じた拵を総じて肥後拵とされているようです。本歌は一見、侘びの粋を集めた茶器のような拵です。而してその実は居合を嗜んだ三斎公が、現代で云う所謂「用の美」を追求した、実戦的な装備と云われています。肥後拵とされる特徴には様々な掟がありますが、ここでは武的特徴をいくつか紹介します。まず柄は七寸程で刀身は二尺前後、これは無駄な長さを排して初太刀の片手打を重視し、柄も衣服に絡んで不覚を取ることが無い為と云われます。柄頭は四分一などの金属製で丸みのある形状、これは柄打の攻撃力を持たせ、さらにこれも袖など衣服に引っ掛かりにくく、いざという時に遅れをとらない為の形状です。通常、所有者の美意識を籠めた注文拵などは金具や鍔、目貫の意匠を揃えたり、洒落や物語性を含んだ「一作物」が多いのですが、肥後拵には縁と頭の金具が意匠違いの場合も多く、これを「取合せ」といって侘び茶の“あえて外す”粋とみるようです。柄巻は燻べた鹿の裏革で巻き、強度と握った際の手之裡の馴染みを向上しています。柄鮫は惣巻きで漆掛けしており、やはり強度向上と漆掛けによる防水性を考慮されています。鞘は栗形の位置が指三本と云われ、通常の位置より鯉口寄りに狭くなっていますが、これは鍔と栗形の間を左手で握れば、親指を鍔に掛けなくても鯉口が切れることを狙った意匠となっています。栗形には肥後熊本藩細川家の熊本形、家老筆頭の八代藩松井家の八代形があり、拵を見ればどちらの家臣か判るようにしていたとの事です。また、栗形の差裏には通常小柄櫃を設けますが、小柄の無い場合も一文字の裏瓦を配するのが掟です。栗形裏に緩衝材として配置し、強度のバランスを取っていると考える拵師のかたもいます。鞘は惣鮫巻に漆を掛け研ぎ出した本歌や、塗鞘に印籠刻みのものなどが知られています。惣鮫鞘は研ぎ鮫に詫び茶器の梅花皮を見立てていることもありますが、強度を上げる役割も大きい処です。場合によっては鞘も武器として用いる心構えの証左ともいわれます。鐺金具は泥摺と呼ばれる鉄製を用い、これも強度と攻撃力を向上してあります。よく出来た肥後拵は水に飛び込んでも刀身は濡れないといわれ、「照り降り知らずの墓場刀」とも謳われたとの事です。環境の変化に強く、墓場で立ち回り墓石にぶつけても平気なほど丈夫という程の意味だそうです。不肖の師である清田泰山師が肥後細川藩士族の家系であり、御自身も刀装具の製作を嗜まれたこともあり、不肖も日頃より肥後写の拵を使い稽古しています。以上、無雙直傳英信流視点における刀についての私見 蛇足でした。无拍2020年7月20日 初出(再掲時一部修正)
肥後拵について居合拵といえば不肖には肥後拵がまず浮かびます。肥後拵の本歌は、利休七哲に数えられる茶人であり伯耆流居合の達者であった戦国武将、細川三斎忠興が創作した様式で、侘びの心を取り入れた拵です。細川三斎自ら意匠したとされる歌仙拵、信長拵、希首座拵などの本歌の他、本歌の特徴を踏襲し、縁金具や鍔の名工を熊本へ招致して製作させた肥後金具を用いた拵を肥後拵として、肥後金工の手ではない金具で本歌に似せた様式の拵を肥後風、もしくは肥後拵写しと区別する事もあるようです。現代の居合道界においては、本歌の特徴に準じた拵を総じて肥後拵とされているようです。本歌は一見、侘びの粋を集めた茶器のような拵です。而してその実は居合を嗜んだ三斎公が、現代で云う所謂「用の美」を追求した、実戦的な装備と云われています。肥後拵とされる特徴には様々な掟がありますが、ここでは武的特徴をいくつか紹介します。まず柄は七寸程で刀身は二尺前後、これは無駄な長さを排して初太刀の片手打を重視し、柄も衣服に絡んで不覚を取ることが無い為と云われます。柄頭は四分一などの金属製で丸みのある形状、これは柄打の攻撃力を持たせ、さらにこれも袖など衣服に引っ掛かりにくく、いざという時に遅れをとらない為の形状です。通常、所有者の美意識を籠めた注文拵などは金具や鍔、目貫の意匠を揃えたり、洒落や物語性を含んだ「一作物」が多いのですが、肥後拵には縁と頭の金具が意匠違いの場合も多く、これを「取合せ」といって侘び茶の“あえて外す”粋とみるようです。柄巻は燻べた鹿の裏革で巻き、強度と握った際の手之裡の馴染みを向上しています。柄鮫は惣巻きで漆掛けしており、やはり強度向上と漆掛けによる防水性を考慮されています。鞘は栗形の位置が指三本と云われ、通常の位置より鯉口寄りに狭くなっていますが、これは鍔と栗形の間を左手で握れば、親指を鍔に掛けなくても鯉口が切れることを狙った意匠となっています。栗形には肥後熊本藩細川家の熊本形、家老筆頭の八代藩松井家の八代形があり、拵を見ればどちらの家臣か判るようにしていたとの事です。また、栗形の差裏には通常小柄櫃を設けますが、小柄の無い場合も一文字の裏瓦を配するのが掟です。栗形裏に緩衝材として配置し、強度のバランスを取っていると考える拵師のかたもいます。鞘は惣鮫巻に漆を掛け研ぎ出した本歌や、塗鞘に印籠刻みのものなどが知られています。惣鮫鞘は研ぎ鮫に詫び茶器の梅花皮を見立てていることもありますが、強度を上げる役割も大きい処です。場合によっては鞘も武器として用いる心構えの証左ともいわれます。鐺金具は泥摺と呼ばれる鉄製を用い、これも強度と攻撃力を向上してあります。よく出来た肥後拵は水に飛び込んでも刀身は濡れないといわれ、「照り降り知らずの墓場刀」とも謳われたとの事です。環境の変化に強く、墓場で立ち回り墓石にぶつけても平気なほど丈夫という程の意味だそうです。不肖の師である清田泰山師が肥後細川藩士族の家系であり、御自身も刀装具の製作を嗜まれたこともあり、不肖も日頃より肥後写の拵を使い稽古しています。以上、無雙直傳英信流視点における刀についての私見 蛇足でした。无拍2020年7月20日 初出(再掲時一部修正)
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