武蔵野稽古会 無雙直傳英信流6月14日読了時間: 2分无拍閑話雑考 道としての居合 其之七居合の業、傳承がどれだけ完成されていたとしても、精神性を伴わない居合はあくまで居合術であり、必ずしも術は道たり得る訳では無い、というのが不肖の認識です。 居合道は術の鍛錬を以て成り立つものですが、いくら術に長けていても理を追求しない居合は道とは呼べないものと考えています。...
武蔵野稽古会 無雙直傳英信流6月14日読了時間: 3分无拍閑話雑考 道としての居合 其之六一見すると刀踊りと同じような所作、それでは如何なる相違を以て形骸ならざる居合とするべきでしょうか。 不肖は現代の居合に於いて、ただ形の表面をなぞるだけでは道としてその求むる処に及ばないものと考えます。 当流に於いても現代では維新後の十七代大江正路師以降より宗家制が採られてお...
武蔵野稽古会 無雙直傳英信流6月14日読了時間: 1分无拍閑話雑考 道としての居合 其之五居合に於いて、武術としての本来的な目的とは即ち敵を制する事だと認識しています。 この目的を達する為の手段、致し様を一向追求する修錬が、居合に於ける道の修行に当たると考えています。 居合道として稽古される無雙直傳英信流の業は、少なくとも古傳にその業名を残す棒術、体術系統を除け...
武蔵野稽古会 無雙直傳英信流6月14日読了時間: 2分无拍閑話雑考 道としての居合 其之四居合道歌に詠む 居合とは 人に斬られず人斬らず 己を責めて平らかの道 まさに「居合」の「道」を喝破しています。 ただしこの歌は元々 居合とは 人に切られず人切らず 唯請とめて平に勝 という歌が林崎新夢想流の傳書「秘歌之大事」(元禄十四年1701年)や前出の無雙直傳英信流「居...
武蔵野稽古会 無雙直傳英信流6月14日読了時間: 2分无拍閑話雑考 道としての居合 其之三下村派十六代 曽田虎彦師の残された江戸時代中期の英信流文献写し「居合兵法極意秘訣」(原本は十代林安大夫より明和元年1764年に十一代大黒元右衛門へ贈る)には、仕物(上意討)や不意打ちへの用心、自分が不意打ちを掛けられた時の対処、そして不意打ちを仕掛ける時の心得が子細に渡り書...
武蔵野稽古会 無雙直傳英信流6月14日読了時間: 2分无拍閑話雑考 道としての居合 其之二居合の世界にいると、居合道、武士道といった言葉をよく聞きます。 昔、まだ当会を発足させる遥か以前に、ある道場でこんなことがありました。 二人の年配者が口論となり、そのうちに片方のかたが「武士道に反する、腹を切れ」と云い放ちました。...
武蔵野稽古会 無雙直傳英信流6月14日読了時間: 4分歩水撰述フラクタル『フラクタル(仏: fractale, 英: fractal)は、フランスの数学者ブノワ・マンデルブロが導入した幾何学の概念である。ラテン語の fractus(砕けた石)から。図形の部分と全体が自己相似(全体と部分の拡大の形状が似ている)になっているものなどをいう。...
武蔵野稽古会 無雙直傳英信流6月14日読了時間: 1分无拍閑話雑考 道としての居合 其之一当会 無雙直傳英信流 武蔵野稽古会はその会名に居合道を冠していません。 自らの居合を「道」たり得ると謳うなど不遜である、という自戒を籠めたものでもあります。 無雙直傳英信流が元々総合武術であったという事、またその総合武術を総じて居合としていた事から、無雙直傳英信流 即...
武蔵野稽古会 無雙直傳英信流6月14日読了時間: 3分无拍閑話無雙直傳英信流視点における刀についての私見 蛇足肥後拵について 居合拵といえば不肖には肥後拵がまず浮かびます。 肥後拵の本歌は、利休七哲に数えられる茶人であり伯耆流居合の達者であった戦国武将、細川三斎忠興が創作した様式で、侘びの心を取り入れた拵です。 細川三斎自ら意匠したとされる歌仙拵、信長拵、希首座拵などの本歌の他、本...